あの瞬間!俺たちは若かった!!

日々の出来事を綴っていきます

懐かしの写真展

12月15日晴れ・・・灘のけんか祭りで知られる松原八幡神社周辺(姫路市白浜町)の大正・昭和の町並みを写した懐かしの写真展が松原公民館で開かれ見学に父(80才)と行ってきました。少しばかり展示された写真を紹介しましょう。
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地元の高年者クラブ会員から集めた写真160枚を展示しています。父がじっと見ているのは自分が小学校2年生ぐらい?の写真を発見。担任の先生のことを言い出しました(笑)!
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松原八幡宮旧絵馬殿・・・大正13年新拝殿が完成。旧拝殿を絵馬殿に転用。この絵馬殿は「黒田官兵衛」寄進と伝わっています。残念ながら、昭和54年に老朽化により解体撤去されました。
 
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昭和27年10月15日の広畠。この日は、昼ごろから大雨になり、屋台は広畠での練り合わせを楽しみ帰村しました。練り番は松原です。一の丸と二の丸が道に降り三の丸これから道中に納めるところ。・・・そう言えば今年の10月15日も雨で大変でした。
 
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昭和45年・覚えていますか「故・坂本 九さん」・・・松原の屋台に上がって紙手を振っています♪
 
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入浜式塩田・・・塩田作業の重労働がお解りだと思います。この様な過酷な日々が灘祭りの派手さを生んだとも言われます。 
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こちらは流下式塩田・昭和39年・・・白浜・木場地区の塩田も、入浜式から流下式と効率を良くする努力をしましたが、外国産の安価な塩の輸入に押され昭和46年に長い歴史を閉じました。
 
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昭和57年妻鹿漁港を行く妻鹿屋台・・・この年は、妻鹿の練り番です。屋台の前に神輿幟が行きます。漁港も舟がたくさん係留され往時のにぎわいが伝わります。妻鹿漁港も今は埋め立てられ住宅街になりました。
 
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昭和34年灘中学校運動会風景・・・学校の周りは田園風景が広がってます。手前は、県・市営住宅です。今は、払下げになって住宅に変わりました。スレート葺きの校舎は、戦時中の弾薬庫跡を再利用して校舎として使いました。
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昭和34年・35年頃灘中マラソン大会・・・校門を出発!後方には、初期の校舎が残っています♪
 
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大正5年?灘のけんか祭り・広畠の神輿合わせ・・・山には大きな松、現在の登山道付近に「わら屋根の家」があり現在とだいぶん雰囲気が違いますね。見物人の服装も注意して見て下さい。「ごちそうさん」の世界です♪
 
大正・昭和時代の祭り写真など白浜校区ならではの写真が展示されてました。懐かしい写真を見て学校や地域の移り変わりやこの時代に暮らした人たちの生活ぶりを感じたしだいであります。子どもの頃、校庭を駆け回ったあの頃を思い出しました。