あの瞬間!俺たちは若かった!!

日々の出来事を綴っていきます

白浜校区地域夢プラン①

11月3日曇り・・・「平成25年度地域夢プラン・白浜ええとこみつけ隊」が開催されました。昨年の松原地区につづく第2弾とし、昨年と同様」に白浜地区の再発見と、育んできた文化、そして現在の白浜を支える産業を知り、息づく白浜が「体感」できることを目的とします。この計画は、あれこれ半年前より実行委員会が立ち上げ吉田も実行委員会に所属しております。今年で2年目~
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実行委員は、午前7時に集合し最終打ち合わせ。一般参加者は、午前9時すぎからスタートしました。(私は、記録係りとしてウォークラーリーに参加)
少しばかり名所・史跡を紹介していきたいと思います。私は、この地(白浜)に生まれて半世紀経ちますが、中村・宇佐崎地区の史跡は、ほとんど知りません。
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まずは、松原山八正寺・・・聖武天皇神亀元年(724年)に行基菩薩によって開創された。その後、淳仁天皇天平宝字7年(763年)4月11日に、頼朝により松原八幡神社の神宮寺として豊前の国宇佐八幡神宮の神霊を勧請(かんじょう)し、社僧により奉祀させるにいたり、当時は勅願別当寺に補せられた。
 
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各史跡には、ビンゴ当たり番号が掲示されており子ども達も盛り上がります。
 
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五輪(オリンピック)バージョンの露盤(これは、珍しい)
 
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中村資料館・・・中村には、古くから膨大な古文書、祭り道具・鬼会式用具などがあり、これらを公民館や固寧倉に収容保管」していたが、貴重な財産が散在する恐れがあった。一方、香寺町相坂へ譲渡していた古い屋台が変換されることになり、その保管機能をも兼ねて資料館を建設した。先代大関・増位山の化粧まわしがありました→この地の出身であります。
 
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中村固寧倉(なかむらこねいそう)・・・固寧倉は、姫路藩主酒井家が文化6年(1809年)に施行した義倉の一種で、不時の災害などに備え米麦を蓄えて村が管理した。天保14年(1843年)までには藩内に92か所に創設され、天保の飢饉では大きな役割を果たしたという。
 
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河野家住宅・・・姫路市都市景観重要建物(平成7年3月1日指定)町家形式の主家から西側の庭を囲む高い塀が連なる。主家の玄関部分は出格子で太格子と細格子が交互に配されており、つし2階部分は薄墨色の漆喰壁でぼけ型の虫籠窓と垂木は白漆喰で塗りこめてある。
 
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宇佐崎屋台蔵・・・平成25年9月完成。宇佐崎らしく七村で一番のものを検討した結果、正面(向拝部)の屋根は「唐破風」で、鬼瓦は「龍(黄龍)」縣魚は「朱雀」と宇佐崎屋台の守護神で大屋根鬼瓦には「宇」の文字を入れている。また、正面(向拝部)柱は七寸、蔵内柱は六寸の総檜造りで、屋台泥台通り及び向拝部土間には御影石を敷いている。
 
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河野屋台製作所・・・お祭りが終わってもここでは、一年中祭り。播州屋台を作っています。町内にあるのに見学したのははじめてです。
 
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ここからズゥーと南下し白浜海水浴場まで、ここでお弁当とお茶をもらってから
少し休憩。
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「うみくる」の2階では、灘の今昔写真展。白浜の懐かしい写真を展示。今はどうなっているのかな?
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海岸でのクリーンタイム。私たちの白浜海水浴場をきれいにしよう!
さあいよいよ地引網体験です。何のお魚が入っているのかな?
すみませんが、これ以上、画数がいっぱいで書き込みができません。
これにて第一部は終了。明日は、地引網からスタートします。お楽しみに♪