あの瞬間!俺たちは若かった!!

日々の出来事を綴っていきます

☆新島旧邸☆

3月15日晴れ・・・今日は、朝から出張で京都まで。速攻で仕事を済ませて午後3時(受付ぎりぎり)に「新島旧邸」に行ってきました。NHK大河ドラマで一躍時の人となった新島八重同志社大学創始者である新島襄と結婚し、京都に住んだ家が新島旧邸です。1878年明治11年)に完成した邸宅は、和洋折衷のモダンな造りで、展示品などからは2人の暮らしぶりを知ることができます。(市の有形文化財
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1878年(明治11)年9月初めに竣工、1985年(昭和60)6月1日、調度・家具類を含めて京都市から有形文化財に指定されました。「八重の桜は、まだ咲いてなく梅が咲いていました」
中の様子を解説いたしますと・・・
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台所がありました。当時の民家は、土間形式が一般的でした。これを用いず、床板をいっぱい張り、その上に流しを置いています。現在の台所と何ら変わりません。
 
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八重が愛用していたオルガンです。当時は、どんな曲を弾いていたのでしょうか?
 
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こちらは、応接間です。当時の椅子・テーブルがそのまま置かれています。教室・職員室・会議室・大学設立募金事務室・教会の集会室など、多目的に使われていました。
 
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こちらの部屋は茶室です。新島の死後、八重は1階洋間を改造して「寂中庵・じゃくちゅうあん」を作りました。この茶室は、会津出身の八重が新島の死後に、洋風の生活から純和風の生活へと回帰していったことを物語ります。
 
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こちらは、洋式トイレです。和に洋をとり入れた板張りの洋式トイレで、この種のトイレとしては、日本では初期のものといわれています。
 
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食堂です。台所と食堂の間にハッチ式の配膳棚もセットしてました。当時の住宅としてはモダンでした。
 
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新島が使った机も当時のまま残っています。壁一面に書棚があり、8割が洋書でした。同志社の学生は図書室のように自由に利用したといわれています。
何から何まで新しい新島夫妻。当時、周囲から見れば、悪妻に映った八重さんかもしれませんが、会津で培われた強い精神と旦那様の深い愛情があったからこそ、自分の生き方を貫き通せたのでしょう。今後の大河ドラマが楽しみになりました。※新島旧邸は予約制です。