あの瞬間!俺たちは若かった!!

日々の出来事を綴っていきます

トカラ列島の亀さんと宇治群島

遠くに行けば大物が釣れそうな気がする。
人の行かないところに行けば釣れそうな気がする。
そう、釣り師は単純なのです。

俺はもっと単純で、人の行かない、遠くへ行けば大漁間違いないと信じ込んでいた。
それが見事に打ち砕かれた出来事だった。

週間釣りサンデーでトカラがもてはやされていた大学3年の春、
馬鹿で暇な学生が4人集まって「トカラ列島 中之島 大グレウハウハ遠征」を計画した。

俺以外は、それぞれ実家に帰省しているため集合は鹿児島。

俺はアルバイトでためた金を携えて、東京から陸路鹿児島へ。
新幹線に釣具とイグロのクーラーを持ち込んだのはすこし恥ずかしかった。
博多から在来線に乗り換えるときは好奇の目線が痛かった。
でもそんなことはお構いなし。
目指すは一路「トカラ列島!!!」

鹿児島到着後は村営の「十島会館」に投宿 
翌日、鹿児島谷山桟橋から村営船「十島丸」で向かう予定だった。
ところが荒天のため翌日の船は欠航との連絡。
当然その夜は天文館に繰り出して大漁前祝い。

翌々日、天気晴朗なれど波高し・・・
翌々々日 天気晴朗慣れど浪高し・・・
そして鹿児島到着から日めにやっと出航。
硫黄島種子島の間を南下し、屋久島の西を通り抜け、最初の寄港地口之島に到着。
艀(はしけ)で乗客と貨物をおろし、次は目的の中之島

港には宿のおじさんが迎えにきてくれていた。
釣り道具一式を軽トラに積み込み、鹿児島で購入したオキアミを漁協の冷凍庫に預けた。
到着した第一印象は当時住んでいた東京とは正反対の「何も無い島」だった。
人口200人程度だったと記憶している。

島では渡船を利用しての磯釣りを予定していたが、ここでも風に予定を大きく乱されてしまった。
温泉に入ったり、温泉に入ったり、温泉に入ったり・・・
港で釣りしたり、港で釣りしたり、港で釣りしたり、・・・
本土から島に住み着いた兄ちゃんと、野生の山羊を獲りに行ったり・・
ここでの獲物は港でKが釣ったグレの50cmが唯一の獲物。

最大の出来事は、Kが「超大物」を釣った一連のできごと。
唯一のグレを釣った数投後、
Kの「がま磯2号」が大きく弧を描いた。
でかい!! 「スパースポーツSS-850LBX」から糸が出される。
しかし、糸の出され方がおかしい。
ジーッ!!ジーッ!!ジーッ!!ジーッ!!
やっとの事で寄せてくると、大きなウミガメだった。
あの糸の出され方は、亀がヒレをめいっぱいの力で動かしたときに連動していたのだ。

ちょうどそのとき、宿の親爺がスーパーカブで昼の弁当を届けにきた。
玉網に入っている亀をみて「ええもんが釣れた」という意味の言葉を吐いて、
勝手に亀をスーパーカブの荷台にくくりつけていた。

一同、唖然・呆然・愕然・・・
後ろ向きにくくられた亀は我々の方を見ていた。
亀の目が悲しそうだった。
スーパーカブが走り出した。
亀はひれをバタバタした。
4人の都会の兄ちゃんは何もできなかった。
浦島太郎にはなれなかった。

その晩の夕食は亀の刺身だった。
当然、誰も箸を付けなかった。
宿の爺と婆は怪訝そうな顔をして俺たちを見ていた。

翌日、俺たちは中之島を後にした。
錦江湾に入った十島丸のデッキでぼーっと桜島の噴煙を見ていた。
噴煙のすぐ横の雲が亀そっくりの形をしていた。
客室に入って、他の3人をデッキに連れ出した。
全員が「亀の祟りだー」とはしゃぎながら叫んだ。
そして亀を釣ったKを今後KAMEさんと呼ぶことを衆議一決した。

亀の形の雲を横目にしながら、消化不良の釣行に何かでけりをつけなれば・・と協議した。
教員採用試験に合格し、予定が詰まっているS師は帰京する事になったが、
残りの3人は串木野から宇治群島に行くことにした。

桟橋到着後、渡船屋に電話を入れ、出航を確認。
西鹿児島から串木野まで特急で移動し港まではタクシーで移動。
今度は1泊2日の宇治群島に思いを馳せる。

乗ったのは「カケアガリ」という西向きの磯。
53cmの尾長グレを釣って一応の成果はあった。

その後、串木野から博多を経由して東京の下宿まで帰ってきたわけだが、
なぜか宇治の記憶は薄い。
25年ほど前の、2週間近い釣行の記憶のほとんどが亀事件で占められている。

登場人物は いも 銚子の教師 淡路の二人の兄ぃの4人です。