あの瞬間!俺たちは若かった!!

日々の出来事を綴っていきます

☆黒田官兵衛ゆかりの地めぐり☆

1月18日曇り・・・今日は、久しぶりにまったりしております。昨日は、仕事の途中に廣峰神社に立ち寄ってみました。
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黒田家飛躍の地となった廣峰神社。広峰の御師たちは官兵衛の祖父・重隆の作った目薬を御神符に添えて売り、黒田家の富だけでなく、土木の技術や各地の情報を伝えたとか。
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休憩展望台からはマイホームグランドの家島諸島が丸見え。この日は、ミゾレが降っており生憎の天気でした。第1回の軍師官兵衛の終わりの官兵衛紀行では真っ赤な夕日の中、鞍掛島・鍋島・太島・男鹿島がばっちり写っていて感動(全世界に発信できて・涙)。
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こちらは、廣峰神社の本殿・拝殿です。現在の本殿は室町・拝殿は桃山時代に建てられたものです。ともに重要文化財に指定されていて、どちらも日本屈指の大きさを誇ります。
 
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裏に回れば「神秘なる九つの穴」。願い札と賽銭を投げいれて、この穴に向かって小声で願い事をすると、必ず成就するといわれています。
 
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憩いの広場には、黒田家が目薬の材料としたといわれる目薬の木が植えられていました。
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これが、目薬の木の芽の部分。目薬の木(メグスリノキ)は、日本の山地に自生するカエデ科の落葉高木で、高さ10mになる大きな木です。秋には葉が鮮やかに紅葉します。司馬遼太郎の著作「播磨灘物語」には、黒田官兵衛の祖父が、室町時代にこのメグスリノキを原料にした目薬を作り、巨万の富を得たという記述があります。目薬の木が当時どのように取り扱われていたのか、とても気になります。
かつてはこの広峯山、江戸時代には広峯三十五房といわれ、多くの社家に加えその社家に仕える手代など、多くの人が住まわれていたそうです。今となってはその面影はありませんが、多くの屋敷跡などから官兵衛のいた時代は、山上でありながらここは、御師や多くの人々で賑わっていたんでしょうね♪