西播磨に大きな勢力を持った龍野城主・赤松政秀の子と生まれた赤松広英は、秀吉に戦わずして降伏し、龍野城を開場しますが、中国大返しの際、殿(しんがり)など、天下統一への戦いで活躍」、但馬竹田城主として大名に返り咲きました。彼は、関ケ原の戦いの影響で自害に追い込まれるまでの間、年貢の大幅な減免や治水工事を行うとともに、養蚕・漆器作り(竹田家具」の原点)など、後世に大きく発展することになる産業を振興し、今も名君として慕われています。
昔の醤油の倉庫の中は、ひんやりしており幻想的。水嶋先生(作家・但馬文学会会長)による播磨が生んだこの偉大な大名について、詳しく教えていただきました。たまには、こんな歴史セミナーも気分転換になっていいもんです♪