あの瞬間!俺たちは若かった!!

日々の出来事を綴っていきます

☆京都の旅☆

11月16日晴れ・・・昨日は、午前中に仕事の為、古都・京都に行ってきました。速攻で商談を済ませ午後2時より少しばかりお寺を2箇所見学に行きました。一番目に行ったところは詩仙堂 丈山寺」です。
イメージ 6
詩仙堂の入口、小有洞(しょうゆうどう)の門を入ると、参道の両脇には涼しさの感じられる竹林があります。
イメージ 12
竹林の奥へ進むとさらに老梅関(ろうばいかん)の門があり、その門をくぐりぬけると詩仙堂の建物へと通じます。詩仙堂は、武士から文人となった石川丈山(いしかわじょうざん)が隠居生活を送るために寛永18 (1641)年に建てた山荘。名前の「詩仙」とは、中国の詩人三十六人の肖像画を飾る「詩仙の間」からきています。
イメージ 7
石川丈山は、天正11(1583)年に現在の愛知県に生まれ、16歳で徳川家康に仕えましたが、大阪夏の陣を機に徳川家を離れて武士を辞めました。その後は文人として朱子学を学び、59歳の時に詩仙堂を構えました。丈山は中国の文化人に強い憧れを持ち、90歳で没するまで寝食を忘れて漢詩や隷書(れいしょ:漢字の書体)を愉しんだといわれています。丈山のつくる漢詩は素晴らしく、中国の漢詩の名人である杜甫李白に匹敵するほどの出来栄えと絶賛されています。丈山の没後、ここは曹洞宗のお寺として残されました。
イメージ 8
当時、詩仙堂が建てられた場所は山のふもとにあり、夜中に頻繁に出没するイノシシや鹿を追い払うために「ししおどし」が考案されました。イノシシたちはその音に驚き、畑を荒らさなくなったのだとか。また、静寂の中でコーンと竹が石を打ちつける響きは、隠居生活を送る丈山の慰めとなったといわれており、彼がつくる庭には「ししおどし」が設置されるようになりました。それがいつしか全国に広まったといわれています。空気の澄んだ静かな場所にあり、庭園を眺めていると、ししおどしの音が「カ~ン」と耳に届きます。心を癒されれました。
 
お次は、詩仙堂から歩いて5分ほどのところにある「円光寺」に行ってきました。
イメージ 9
ここは、慶長6年1601年)徳川家康が伏見に開いた学問所がはじまりです。当時の木活字や円山応挙の絵画など貴重な所蔵品があります。
イメージ 10
門をくぐったところに「水琴窟・すいきんくつ」がありました。水琴窟とは地中に埋めた甕(かめ)に落ちる水音を楽しむ仕掛け。ここの音色がとりわけ美しいのは地肌のなめらかな常滑(とこなめ)の大きな甕(かめ)を使っているとか。水の球が転がるような澄んだ音色を静寂の中に奏でます。竹筒に耳をあてて聴きます。
イメージ 11
 
イメージ 1
池や竹林なども見どころがいっぱいつまった庭園。紅葉の季節は色づきはじめから散る頃まで、色とりどりの紅葉におおわれます。
イメージ 2
境内の裏山を登る途中に「除夜の鐘」毎年12月31日午後10時より鐘が鳴ります♪
イメージ 3
しばらく裏山を登っていくと「家康公の墓」の看板。さぞかし立派だと思いきや・・・
イメージ 4
これが「家康公の墓」結構地味であります。他に墓地内には村山たか花の生涯のヒロイン)、マレーシア留学生オマール氏(広島原爆にて死亡)の墓があります。
イメージ 5
少し高い場所にあるので円光寺の庭園や京都・洛北の風景もながめられます。車の運転はちょっと大変でしたけど、来て良かったと思う。客殿から庭園を望む構図は、日本庭園最高!!と思う瞬間です。たまは京都へ行くのもいいですね。